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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)7255号 判決

原告 武沢裕司 外二名

被告 有限会社崎陽工業 外一名

主文

被告等は、各自、原告武沢裕司に対し金一五万円、原告武沢喜一に対し金六万円、原告武沢フサ子に対し金一万円およびこれに対する昭和三八年九月一三日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一は原告等の、その余は被告等の負担とする。

この判決は原告等勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は

「一、被告等は、各自、原告武沢裕司に対し金三〇万円、原告武沢喜一に対し金一一万二九三二円、原告武沢フサ子に対し金二万三五〇円およびこれらに対する昭和三八年九月一三日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告等の負担とする。」

との判決ならびに仮執行の宣言を求め、

被告等訴訟代理人は

「一、原告等の請求はいずれもこれを棄却する。

二、訴訟費用は原告等の負担とする。」

との判決を求めた。

原告等訴訟代理人は、請求原因として、次のとおり述べた。

「一、昭和三八年五月三日午後一時頃、東京都大田区西六郷一の二二先丁字路において、被告高原幸靖の運転する被告有限会社崎陽工業(以下被告会社という)所有の普通貨物自動車登録番号品四そ三八五二号(以下被告車という)と原告武沢裕司とが接触し、同原告は路上に転倒した。

二、右交通事故により原告裕司は加療約一ケ月半を要した後頭骨々折、頭蓋内出血および右足部挫傷の傷害を負つた。

三、被告会社は、自己のために被告車を運行の用に供していた者であるところ、その運行によつて原告裕司の身体を害したから、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)第三条本文により、原告等に蒙らしめた後記の各損害を賠償すべき責任がある。

四、また、被告高原幸靖は、過失による不法行為者として民法第七〇九条に基く損害賠償責任を負うものである。

すなわち、本件交通事故現場は、巾員約二メートルの道路(以下甲道路という)で、被告車の進路左側はブロツク塀となつており原告裕司の進行して来た左側道路(以下乙道路という)に対する見とおしは全くきかずかつ交通整理の行われていない丁字路であるから、自動車運転者としては徐行して前方左右に対し注意を払い、乙道路から交差点に進入して来る歩行者のあることも予測しうるところであるから警音器を鳴らすなどの方法により警告しかつ何時でも停車できるよう徐行し、万一自動車の進行に気付かず交差点に進入して来る歩行者のあるときは直ちに急停車し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、被告幸靖はこれを怠り漫然と右丁字路交差点を通過しようとした過失により路上で球技をして遊んでいた原告裕司が乙道路から被告車の進路を横断しようとして出て来たところに接触したものである。

五、本件交通事故によつて原告等は次のような損害を蒙つた。

(一) 財産的損害

(1)  昭和三八年五月三日から同年六月一日まで医療法人六郷中央病院に入院した治療費 金六万六〇五五円

(2)  右病院へ通院した治療費 金一〇三五円

(3)  昭和三八年六月一一日直居診療所でうけた脳波検査料 金二三〇〇円

(4)  同日東京鉄道病院でうけたレントゲン診断料 金二三四六円

(5)  入院中に要した氷代 金四〇〇円

(6)  牛乳代 金三九六円

(7)  小坂内科医院でうけた応急処置料 金四〇〇円

(8)  本件訴訟のため昭和三八年一二月三〇日原告訴訟代理人弁護士渥美俊行に支払つた着手金 金四万円

(9)  原告武沢フサ子が、当時日当金三五〇円、食事代一日金一〇〇円、皆勤手当一ケ月金一〇〇〇円の約束で勤務していた有限会社新正堂製パン所を付添看護のため昭和三八年五月四日から同年六月一五日まで欠勤したため喪失したため喪失した得べかりし利益 金二万三五〇円

右のうち、(1) ないし(8) は原告武沢喜一の支出にかかる同原告の蒙つた損害であり、(9) は原告フサ子の蒙つた損害である。

(二) 精神的損害

(1)  原告裕司は、入院してのち意識こそあつたが、面会を謝絶され、酸素吸入器を使用して治療をうけ医師からは生死のほども明らかでないといわれた程度の後頭骨々折、頭蓋内出血および右足部挫傷により約一ケ月間入院したが、頭部打撲による頭蓋内出血ほど生命に危険をおよぼしかつその予見が困難なものはなく、日時を経過してのち突然死亡する例さえあるのであつて、両親である原告喜一、同フサ子の寝食を忘れた昼夜の別なき看護の結果幸い一命をとりとめ、現在表面に現われる後遺症こそ特に存しないが、退院後八ケ月を経ても深夜に突然うなされて泣きだすこともあり、将来も六ケ月毎に脳波の精密検査をうけなければならない状態で、原告裕司の蒙つた精神的苦痛は計り知れぬほど大きくかつ長いのである。

(2)  原告裕司は当時志茂田小学校二年生であつたが、約二ケ月間休学したため、学力の低下、その回復に努力しなければならず、又事故後事故のシヨツクから屋外歩行中の畏怖心が消えず、外出もほとんどせずに屋内にひつそりと引込んでいる有様である。

(3)  原告裕司は原告喜一、同フサ子の長男末子で、右のような病状のため両親は約五日間生きた心地もなく食事睡眠もできず焦酔状態におかれ、原告喜一は勤務先の日本国有鉄道を一〇日間、原告フサ子はアルバイト先の新正堂製パン所を四三日間欠勤して看護にあたつたのであつて、両親は現在特に後遺症がなくても将来何時どんな異常が現われるかも知れないと心痛しているのである。

(4)  原告等の家庭は原告喜一が日本国有鉄道に長年勤務し、堅実な生活を営み、経済的にも比較的恵まれていたが、昭和三七年末にアパートを建築したため、本件事故当時は貯えもなく、家計は苦しく、本件治療費の第一回分約二万円の支払についてさえ苦慮したのである。

(5)  しかるに、被告等の原告等に対する態度は誠意がなく、見舞に訪れても本件事故の内容と被告幸靖の運転方法について弁明を繰返えし、入院治療費の支払につき交渉しても原告裕司の容態さえ明らかでないうちから示談しなければ強制保険金が下附されないことを理由に治療費の立替支払もしなかつた。

(6)  これら(1) ないし(5) の諸事情に照らし原告裕司の慰藉料は金四〇万円を相当と考える。

六、ところで、原告裕司は昭和三八年一二月三〇日安田火災海上保険株式会社から強制保険金として金一〇万円を受領したので、これを右慰藉料に充当する。

七、右のような被告両名の右損害賠償責任は不真正連帯の関係にたつから、本件交通事故による損害賠償として被告等各自に対し、原告裕司は残余の慰藉料金三〇万円、原告喜一は五(一)(1) ないし(8) の財産上の支出損害合計金一一万二九三二円、原告フサ子は五(一)(9) の喪失した得べかりし利益金二万三五〇円とこれらに対する本訴状送達の翌日である昭和三八年九月一三日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

被告等訴訟代理人は、答弁ならびに抗弁として、次のとおり述べた。

「原告主張の請求原因事実第一項は認める。

同第二項は知らない。

同第三項は争う。

本件事故当日は憲法記念日で被告会社が休業したので、被告幸靖は被告車を運転して多摩川ガス橋球場に行き、少年野球を監督して帰る途中、本件事故に遭遇したのである。従つて、被告車は被告幸靖の私用に供されていたのであつて、被告会社のために運行されていたのではなく、被告会社は自賠法第三条にいう運行の用に供していた者ではない。

同第四項は否認する。

同第五項(一)(1) ないし(7) は知らない。(8) は認める。そうして、その金額が東京弁護士会の弁護士報酬規定にそう相当なものでありかつその支出が本件交通事故と相当因果関係があることも認める。(9) は知らない。(二)(1) ないし(5) は知らない。(6) は否認する。

同第六項は認める。

同第七項は争う。

一、被告幸靖に過失はない。すなわち、被告幸靖は原町方面から南六郷方面に向つて甲道路を直進中本件事故現場の丁字路交差点に差し掛つたのであるが、その進路の通行可能巾員は二、八メートルあり、右側は六郷川の土手となつており、左側交差点角には長さ二、五メートルにわたつて隅切りをした高さ一、八メートルのブロツク塀があり、その隅切りのところに塀から一メートル離れて高さ一、二メートルの八ツ手が植えてあるが、進路に交差してくる乙道路を全く見通せないわけではない。そして、被告幸靖は右交差点路上でゴロベースをしている子供達およびこれを見ている子供達の一団があつたので、警音器を三回吹鳴して注意を促したところ、子供達が右側の六郷川土手上または路上左側端に退避したので、乙道路を見通しうる地点を通過するに際し、制動機に足をかけ制動準備をしながら乙道路上を確認したが、交差点に向つて来る人影がなかつたので進行し、交差点中央に進行した時、視界外の乙道路奥から原告裕司が突如走り出して来て急制動措置をとる間もなく左側前部車輪附近に斜後方から接触し転倒したのである。その時、原告裕司はゴロベースをしていて本塁打を打つたため嬉しさの余り夢中で走り出したのである。同交差点は交通整理の行われていない道路であるが、被告幸靖は右のように交差点手前で警音器を吹鳴し、制動準備をし、乙道路の安全を確認し、子供達が避譲したことを確め、子供達の安全を確認して進行したのであるから運転者として注意義務に欠ける点はなく、また乙道路奥から原告裕司が走り出してくることは通常予測しえないところであるから、被告幸靖に過失はない。

二、また、被告有限会社崎陽工業にも過失はない。すなわち、被告会社代表者高原逸喜は被告幸靖の父親であり、被告幸靖は法政大学工学部に在学する学生で、将来は被告会社の経営を担当することになつていることから、訴外逸喜は被告幸靖に対し常々安全運転につき注意を与え、被告車の整備に注意していた。

三、被告車は昭和三八年三月一五日に東京日産販売株式会社から購入した新車であり、同年四月二六日に同社南部営業部大田営業所で定期整備を受けたばかりであつて、その構造上の欠陥または機能の障害はなかつた。

四、前記一において述べたように原告裕司に過失があるほか、原告喜一、同フサ子は原告裕司の父、母で事故現場附近に居住し、とくに原告喜一は当日職場を休み自宅にいたのに、原告裕司が道路上で危険な球戯をしているのを制止しなかつた過失があり本件事故発生の原因は原告等の過失にあるのである。従つて、仮りに被告幸靖に過失があるとしても、原告等の損害の算定にあたつてはこの点を斟酌すべきである。」

と述べた。

原告等訴訟代理人は、被告等主張の抗弁事実第一、第二、第四項は否認する、同第三項は知らないと述べた。

証拠〈省略〉

理由

昭和三八年五月三日午後一時頃、東京都大田区西六郷一の二二先丁字路において、被告幸靖の運転する被告会社所有の被告車と原告裕司とが接触し、同原告が路上に転倒したことは当事者間に争いがない。

そうして、成立に争いのない甲第二号証によると右交通事故によつて原告裕司が昭和三八年五月三日から同年六月一七日まで安静休養加療を要した後頭骨々折頭蓋内出血および右足部挫傷の傷害を負つたことを認めることができる。

そこで、被告会社が自賠法第三条にいう「自己のために運行の用に供した者」に該当するか否かについて考えるのに、被告会社代表者高原逸喜、被告本人高原幸靖各尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によると被告幸靖は、被告会社代表者高原逸喜の子で、学生であるが、被告会社の業務をも手伝い、被告車を時折運転していたこと、本件事故当日である昭和三八年五月三日は憲法記念日で被告会社の休日であつたが、被告幸靖は少年野球に行くため被告会社所有の被告車を運転しその帰途に右事故が発生したこと、当日被告会社代表者逸喜は被告幸靖が右のように被告車を運転することを承知していたことを認めることができる。右認定事実によると被告会社は平素から被告幸靖が被告車を運行することを容認していたことが容易にうかがわれるし、被告会社と被告幸靖との身分上の密接な関係に鑑みれば、被告会社は被告車の運行の支配権とその運行の利益が帰属する者というべく、従つて、自賠法第三条にいう「自己のために運行の用に供する者」に該当するものといわねばならない。

そこで、被告幸靖の過失の有無について検討するに、成立に争いのない甲第四号証の一ないし三、同第六号証の一、二、三、乙第一号証、同第二号証の一ないし六、証人杉本武之、同志村実、同平柳幸太郎、同竹内諒治の各証言、被告本人高原幸靖尋問の結果ならびに検証の結果によると被告幸靖は被告車を時速約二〇キロメートルの速度で運転して、原町方面から南六郷方面へ向つて巾員約二、六メートルの砂利道(甲道路)を進行し、左側からこれと交差する巾員約四、九六メートルのアスフアルト舗装道(乙道路)との丁字路手前約三〇メートルの地点に達した時、前方の丁字路附近に約六人の子供達が遊んでいるのを発見し、それから約一二、五メートル進行する間に警音器を約六回鳴らしたところ、右子供達が避譲したので、危険はないものと速断し、それから約一七、五メールの間は警音器を鳴らさず特に速速することもなく進行したところ、丁字路への入口附近で乙道路から走り出して来た原告裕司と被告車の左前車輪上のバツクミラー附近フエンダーとを衝突させたこと、甲道路と乙道路とは約六四度の角度で交通整理が行われることなく交差しており、その角は一部隅切りがなされているものの、隅切り部分に高さ約一、二メートルの八ツ手が植てありしかも隅切り部分でないところには高さ約一、八メートルのブロツク塀が設置してあるため甲道路から乙道路に対する見とおしは全くきかないこと、被告幸靖が警音器を吹鳴した右区間で警笛は乙道路において充分聞きとることはできるが、これを聞く者にとつては身の危険を感ぜしめる程度ではないこと、右事故現場周辺は住宅地であつて被告車の進行方向右側は多摩川辺りの六郷土手となつており、左側は住宅が櫛比している交通量の極めて少いところであることが認められる。右認定事実によると被告幸靖が被告車を運転して差し掛つた丁字路は交通整理の行われていない左右の見とおしのきかない交差点であるから、自動車運転者は当該自動車の制動能力、路面の状況に応じて直ちに停止することができるような速度に減速して徐行すべきであるのに被告幸靖はこれを怠り漫然と時速約二〇キロメートルの速度で丁字路に進入したことが明らかであるところ、時速二〇キロメートルで砂利道を進行している自動車は急制動措置を講じても直ちに停止することは不可能であり、停止するまでに一メートル以上を要するであろうことは推認するに難くないから右の速度ではいまだ徐行したものとはいえないし、また自動車運転者は危険を防止するために左右の見とおしのきかない交差点においては警音器を鳴らさなければならずまた危険を防止するためやむを得ないときは何時でも警音器を鳴らすことができるのに、被告幸靖は前記丁字路の手前約一七、五メートルまでは警音器を鳴らしたのに進路上の子供達が避譲するや危険なきものと軽信しその後は警音器を鳴らさずに進行したことが明らかであるから被告幸靖はいまだ警音器の使用上の注意義務を尽したものとはいえないし、さらに一般に子供は予測しえない突発的行動をすることは経験則上明らかであるから運転に従事する者はこれを停止信号と同視して他の車輛等への急迫した危険のない限りその直前において一時停車するかこれに等しい最徐行状態で進行して安全を確認して進行すべきであるのに被告幸靖が他の車輛等への急迫した危険もないのにこれを怠り漫然と進行したことが明らかであるから、被告幸靖に自動車運転上の過失のあることはいうまでもない。

以上の次第であるから、被告会社は自賠法第三条本文により被告幸靖は民法第七〇九条により、(不真正)連帯して原告等の蒙つた損害を賠償しなければならない。そこで、原告等の蒙つた損害額については判断することとする。

まず、原告喜一の蒙つた財産的損害について案ずるに、(一)成立に争いのない甲第三号証の二と原告本人武沢喜一尋問の結果によると原告喜一は原告裕司の父であるが、昭和三八年六月一日に六郷中央病院に対し原告裕司の入院治療代金として金六万六〇五五円を支払つたこと、(二)成立に争いのない甲第三号証の四と原告本人武沢喜一尋問の結果によると昭和三八年六月二九日に六郷中央病院に対し原告裕司の外来治療代金として金一〇三五円を支払つたこと、(三)成立に争いのない甲第三号証の一と原告本人武沢喜一尋問の結果によると昭和三八年六月一一日直居診療所に対し原告裕司の脳波検査代金として金二三〇〇円を支払つたこと、(四)成立に争いのない甲第三号証の五と原告本人武沢喜一尋問の結果によると昭和三八年六月一一日に東京鉄道病院に対し原告裕司のレントゲン診断料、初診料として合計金二三四六円を支払つたこと、(五)成立に争いのない甲第三号証の八と原告本人武沢喜一尋問の結果によると昭和三八年六月一日に須藤商店に対し原告裕司の入院中治療に要した永代として金四〇〇円を支払つたこと、(六)成立に争いのない甲第三号証の三と原告本人武沢喜一原告本人武沢フサ子各尋問の結果によると長谷川牛乳店に対し原告裕司の栄養を補うために昭和三八年五月六日から同月二五日までに原告裕司に飲ませた牛乳代金として金三九六円を支払つたこと、当時原告等の家計は楽ではなく平素は牛乳をとつたりやめたりしていた状態で、右支出は原告喜一にとつて本件事故によつて特に生じたものであること、(七)成立に争いのない甲第三号証の六と原告本人武沢喜一尋問の結果によると昭和三八年五月三日に原告喜一が小坂内科に対し原告裕司の本件事故直後の応急処置料として金四〇〇円の支払債務を負担したことを認めることができ、右各支出は本件交通事故と相当因果関係のあるものとみることができ、昭和三八年一二月二〇日に原告喜一が原告訴訟代理人弁護士渥美俊行に対し本件訴訟のため着手金として金四万円を支払つたこと(但し、本件記録に編綴してある原告代理人への委任状によると昭和三八年八月二七日に右着手金の支払債務を負担したことが推認される。)そうして右金額が東京弁護士会の弁護士報酬規定にそう相当なものでありかつその支出が本件交通事故と相当因果関係のあることは当事者間に争いがない。以上の原告喜一の支出額の合計が金一一万二九三二円となることは計算上明かである。

次に、成立に争いのない甲第三号証の九と原告本人武沢フサ子尋問の結果によると原告フサ子は原告裕司の母であるが、本件事故以前から原告フサ子が東京都大田区西六郷一の七所在の有限会社新正堂製パン所に勤務し日給三五〇円、食費代一日一〇〇円、皆勤手当一ケ月一〇〇〇円を得ていたが、昭和三八年五月四日から六月一五日まで本件事故による原告裕司の看護のため欠勤したので、右期間原告フサ子が欠勤することなく勤務したとすれば得たであろう合計二万三五〇円の利益を失つたことを認めることができる。

そこで、被害者側の過失について検討するに、成立に争いのない甲第四号証の一ないし三、同第六号証の一ないし三、乙第一号証、同第二号証の一ないし六、同第三号証に証人杉本武之、同志村実、同平柳幸太郎、同竹内諒治の各証言、原告本人武沢喜一、同武沢フサ子、被告本人高原幸靖各尋問の結果ならびに検証の結果を綜合すると原告喜一は当日は休日で自宅でペンキ塗りをやり食事をしていたこと、原告フサ子も自宅にいたが原告裕司の友達が誘いに来たのに原告裕司が応じて出掛けるままに放置していたこと、原告裕司矢は遊びに出掛けてから前記甲道路と乙道路との交差する丁字路附近で三角ベースをして遊んでいたところ、打順がまわつて来てたまたまホームラン性の大飛球を打ち、夢中になつて他の子供達が被告車に気付き避譲したり、「危い」と注意したのにも気付かず一畳ベースへ向つて走り出し、前記認定のとおり被告車に衝突したことを認めることができる。右認定事実によると、被害者側である原告裕司はもちろん、これを監督監護し、十分自動車に注意するようしつけるべき原告喜一同フサ子にも本件事故発生につき過失のあることも明らかである。

右の被害者側の過失を斟酌すれば、原告喜一の前記財産的損害についてはそのうちの金六万円、原告フサ子の前記喪失した得べかりし利益についてはそのうちの金一万円を本件交通事故の損害として認容するのが相当であると考える。

そこで、原告裕司の慰藉料について案ずるに、原告裕司が前記受傷によつて精神的苦痛を蒙つたことは明らかであるから慰藉料を請求しうることは当然であるところ、その数額について検討するに原告本人武沢喜一、同武沢フサ子各尋問の結果と弁論の全趣旨によると、原告裕司は志茂田小学校二年生の学童であつたが、本件事故のため学校を約二ケ月休学したこと、そして加療後頭部にはげが三ケ所残り、神経質になつて当分夜寝れないと畏怖感を訴えていたこと、原告等の家庭は原告喜一が日本国有鉄道に勤務して生計を営む中流の家庭であるが、事故当時は家の修理のため借金をしたので比較的家計は楽でなかつたこと、そのため治療費の支払いも親類から借金しなければならなかつたのに当初被告等から示談ができなければ治療費の立替払もしないといわれたこと、そして原告等からの治療費支払の交渉の過程において被告等との間に根深い感情上の対立が生じたことが認められ、これらの点に前記の原告裕司の受傷程度、事故発生の状況、原告等の過失等をあわせ考えると、原告裕司の慰藉料額は金二五万円を相当とする。ところで、原告裕司が昭和三八年一二月三〇日に安田火災海上保険株式会社から自動車損害賠償保障法にもとずく強制保険金として金一〇万円を受領しこれをその慰藉料に充当したことは当事者間に争いがないから残余の慰藉料額は金一五万円ということになる。

そうだとすると、被告等は連帯して本件交通事故による損害賠償として、原告喜一に対し金六万円、原告フサ子に対し金一万円、原告裕司に対し金一五万円とこれらに対する本訴状送達の翌日である昭和三八年九月一三日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があることとなる。

よつて、原告等の本訴請求は右の限度において正当として認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 丸尾武良)

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